歩ぞろいの手駒たち

手持ちの資源で日々やっていく。将棋ウォーズは初段。目指せアマ二段!

【将棋 x 小説】 村上春樹『騎士団長殺し』を読み始めた

将棋の定跡を勉強しすぎても頭が固くなると思って、たまに小説を読んでいる。今回読み始めたのはいま話題の、村上春樹の『騎士団長殺し(第一部 顕れるイデア編)』である。まだ数章しか読んでいないのだが、正直言って面白い(細かな謎がちりばめられていて、面白くなりそうな雰囲気が溢れている)。

この小説は、メタファーが多く村上春樹作品の集大成、というような評判を聞いたので、小説を読む前に自分で賭けをしてみた。それはどういう賭けかというと、この小説のなかに将棋に関する喩えが出てくるかどうかというものだ(=暇人と書いてそのまま「ひまじん」と読む)。その結果はというと、物語の数章を読んだだけで将棋に関する喩えが出てきたのだ(賭けに勝利! ごほうびは特にない)。ネタバレにならないようにその部分を引用してみる。

原因のない結果はない。卵を割らないオムレツがないのと同じように。将棋倒しのように、一枚の駒(原因)が隣にある駒(原因)をまず最初にことんと倒し、それがまた隣の駒(原因)をことんと倒す。それが連鎖的に延々と続いていくうちに、何がそもそもの原因だったかなんて、だいたいわからなくなってしまう。あるいはどうでもよくなってしまう。あるいは人がとくに知りたがらないものになってしまう。そして「結局のところ、たくさんの駒がそこでばたばたと倒れました」というところで話が閉じられてしまう。これから語る私の話も、ひょっとしたらそれと似たような道を歩むことになるかもしれない。

 うーん、さすが村上春樹先生、将棋倒しを喩えにもってきた。日曜日の昼下がり、このままこの物語『騎士団長殺し』を読み進めていこう。将棋の定跡の勉強は後回しだな、、まさに『棋譜勉強ごろし』な小説だ(=冴えないシャレ)。