歩ぞろいの手駒たち

手持ちの資源で日々やっていく。将棋ウォーズは初段。目指せアマ二段!

ふいにベトナムの風景を思い出し、もう一度将棋を学んでみることにした

将棋ウォーズはほぼ毎日5局ぐらいやっているのだが、どうも惰性で対局していて、初段の達成率は20%前後を低空飛行している有様だ。

この夏は暑すぎるということもあって動く気にならず、読書などすることも多い。沢木耕太郎の「一号線を北上せよ ヴェトナム街道編」を最近読んで、数年前に訪れたベトナムの風景を思い出した。

私も数少ない「歩く人」のひとりだが、最初のうちは通りを渡るのもおっかなびっくりだった。大通りでも、横断歩道に信号がなく、あってもバイクは無視して突っ込んでくるので、どのタイミングで渡っていいかわからないのだ。バイクの流れが途切れるのを待って十分以上もまごまごしてしまったこともある。しかし、二、三日もすれば、ヴェトナム人と同じように、スイスイとまではいかなくても、そうビクビクしないで渡ることができるようになる。重要なのは、向こうが必ず避けてくれると信じ、同じペースで歩きつづけることだということがわかってくるのだ。危険なのは途中で止まってしまうことである。オートバイはこちらが歩いているという前提で避けようとするので、不意に止まってしまうと事故につながりかねないのだ。しかし、それがわかっていても、最初のうちはオートバイが走ってくる中を平然と歩きつづけるというのがなかなかできなかった。

私もホーチミンでまさに同じことを感じた(ここまで適切に言語化できていなかったのだが…)。

そのようなバイクの風景のほかに、もう一つ、忘れられない光景があった。道端で(ベトナムの?)将棋を指す人々である。

この写真のように、道端で将棋(的なもの)を指す人々がよくいるのである。道端だけでなく、ランチ時にお店のテーブルで将棋(的なもの)を始めてしまう二人組もたまに見かけた。

沢木耕太郎の「一号線を北上せよ ヴェトナム街道編」を最近読んで、これらの風景がフラッシュバックして、将棋の楽しさを思い出した。惰性だけで将棋ウォーズをするのではなく、もう一度将棋を学んでみようという気になった8月の初めであった。